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2/2 カバーフォト(2月分)を更新しました!![]() (ロゴをクリックしたらHPに飛びます) copyright(c) photoboze. all rights reserved. since 2005/03/10 2011年 08月 06日
![]() 写真というのは、目の前の被写体ありきで、しかもカメラやフィルムなどの高度な道具が無いと成立しない。 そのため、写真は他の芸術以上に(写真による)表現とは何か、オリジナリティというものが存在するのか、 そもそもアートなのか、という議論が古くから常々行われてきました。 写真家というヒトが、他の芸術のヒト以上に精神論に寄っていたりするのもそのためだろうと思います。 たとえば、「心が写る」や「らしさ(個性)が写る」と何度も声高に繰り返されるのは、 裏を返せば「被写体がないと写らない、カメラが無いと写らない、で、押せばとりあえず写る」からこそです。 そして、同時に被写体や機材の選択やプリントの調子、いままでにない撮影方法やテクニックにこだわるのも、 「同じようにやったら(やられたら)、同じように写りかねない」恐怖があるからこそです。 だからこそ、使うカメラ(フォーマット)、使うフィルム、色味や濃度とコントラスト、ピントのコントロールが、 さも「その人らしさ(オリジナリティ)」の証かのようにいわれ、それがまるで専売特許であるかのようにいわれる。 そうやって、写真のオリジナリティではなく、写真の周辺を"キャラ立て"して、 そのオリジナリティが写真そのもののオリジナリティかのように振る舞っているんですね。 本来であれば、同じようにやってもなお生まれる違いこそが、本物のオリジナリティだろうと思うのですが、 それでは戦えない(違いがでない)といわんばかりです。 ※昔の書きさしの文章ですが、そのまま掲載します。 最近ちまたで良く聞くようになったアートフィルタ(クリエイティブフィルタ)も、 その枕詞が"何気ない写真も、美しい作品に"となっていますが、 もし本当にアート(クリエイティブ)かどうかのフィルタを通すことになったら、まず一番に選外になりそうですね。 2011年 04月 15日
![]() 別に途中で倒れたっていいじゃないか、どっちみちいつか倒れるのだから。 ゴール出来たとしても、たとえ出来なくても、走ってみなくちゃ分からないのだから。 バトンはすでに渡したから、もう怖くない。 もし道が間違ってもいいさ、だって走り出すときには見えないものだから。 怖さで足がすくむくらいなら、目隠しで走り出してさ。息がきれるところを終点にして。 2011年 02月 02日
今日も暗室に少しだけ。 最近現像したフィルムの六切チェックをするために。 いろいろな写真を焼いたけれど、いろいろなことを考える機会になった。 とりあえず、2月のB1展は、2つの候補に絞られた。 一つは、本番プリントも終了。もう一つは本日生まれた。 ![]() 2010年 08月 23日
写真とは関係ないことをネットで調べていて偶然見つけた文章(セリフ)、確かだなぁと思ったので、メモ代わりに。 かわいいと思ってる訳でもなく、何とも思ってなくてただ単に珍しいと思ったから撮った、 そういう写真でした。 こういう写真こそ良くない写真だということがわかったんです。 写真って何も感じずに撮ると、"何も"映らないんです。 2010年 07月 21日
たまに、ネット上で調べごとをしていて他の方のサイトを見ることがある。 で、たとえば、そこでカラーネガで中判などを使い深度の浅いハイキーな写真を見つけたりする。 大胆にフレームアウトを活用したり、ファインダー越しにピントを外してみたり、 手前に大きくモノを入れ、アウトフォーカスしてみたり、たまにぐっと接写したり、 モノの真っ正面からまるで建築を作るような構図だったり、そんな写真。 それを見て、あー、いいなぁと思うこともある。 今の自分が、35mmで、色もなく、フレームアウトを使わず、ぼかすこともなく、 全面キリリとした写真ばかりを撮っているからこそ、懐かしいような気分になる。 あー、中判のスクリーンにはとても美しいボケが生まれてるのだろうなぁとか、 ファインダーから覗く色めく世界はきれいだろうなぁとか、 全体から一部を切り抜くことで、そこに撮り手の意図を見せるのだろうなぁとか。 でも、今のスタイルはまだ続ける。もしかしたら、どこかのタイミングで再びローライにカラーネガという 選択肢をとる時期が来るのかなぁなんて考える事もあるけれど、まだまだ見えない。 アウトフォーカスは使わない、フレームアウトも使わない、色も使わない、 寄らない、デザインにしない、2つの目標を終えるまでは強くそう思っている。 2010年 06月 29日
最寄り駅に貼ってあるポスターの写真にフィルムのパーフォレーション(こんなヤツね↓)が入っていた。 ![]() で、初めて見た瞬間変だぞ!と思った。 何が変だったかというと、上のように長辺側にパーフォレーションがあるのではなく、 短辺側にパーフォレーションがあったからだ。 でも、寛容な心で写真はハーフサイズのカメラで撮ったということなのかと思おうとしたが、 穴の数がちゃんと8個あった(^_^;) 本来、35mmフィルムで24×36mmの場合ヨコ位置の場合上下にパーフォレーションが来て、 一コマあたり8個の穴が空くという当然の決まり事がある。 だれが制作したのか分からないが、写真を知らないのだなぁと思った。 それと同時に、単純に写真というモノを表わす場合にパーフォレーションを付けると それらしく見えると思ったんだろうなぁと思った。 最近、マークというか、記号というか、シンボルというのか、そういうものを見ると、 不思議に思うことがある、デジタルになってモノにカタチがなくなったからだ。 デジタルになったモノはカタチを持たない。音楽も聴けて、写真や動画も撮れて、電話も出来て、TVも見れて、 WEBも出来る、書籍だって読めるのかもしれない。 そんな端末がある現在に、そういったものをどう表すのか、カタチなんてあってないようなモノ。 試しに、我が子に、首が短いキリン、鼻の長くないゾウ、柄のないシマウマ、白一色のパンダの絵を描いてみた。 いつもは私の下手な絵でも犬とネコの違いを見分けられるのに、どれも分からなかった。 人間はカタチでものを判別する、そしてそのカタチには本来その意味が含まれている。 2010年 06月 11日
フィルムとデジタル、共存すればいいのです。 フィルムでは逆立ちしても出来ないことのできるデジタルはスバラシイ。 でも、デジタル特有の機能を必須とする場合を除いて、フィルムの方が楽で素敵だ。 共存すればいい。 どちらかが他方が駆逐する必要もないし、絶対的な優劣なんてない。そもそもが違うのだから。 ただ、現在を眺めていると、フィルムの方がいいのになぁというシチュエーションでも デジタルが使われている場合が非常に多い。それはとても惜しいなぁと思う。 ある程度のパイがないと、フィルムは生き残れない。 正しい理解が広がれば、フィルムもデジタルと平行して存続するに違いないのに。 冷戦時代に恐怖心から核武装を増強したように、 デジの普及はフィルムだと失敗する(上手く撮れない)という思い込みが後押ししてる。 核(デジ)を持っても変わらないし、むしろ状況は悪化するのにね。武器商人がほくそ笑む。 ジョークです、さて寝よう! 2010年 06月 07日
もし銀塩GRが当時あったなら、 H.C.ブレッソンもGRを使っただとか、 もし当時PHOTOSHOPがあったなら、アンセル・アダムスもPHOTOSHOPを使っただとかいう人がいる。 でも、その言い方にはとても大事な要素が抜け落ちている、また意図的に省かれている。 H.C.ブレッソンがもしGRを使っていたら、「写真趣味おじさん」の扱いを受けたかもしれないし、 決定的瞬間感、より正確には逃げ去るイメージを追わなかったんじゃないかと思う。 またアンセル・アダムスがもしPHOTOSHOPを使っていたとしたら、 単なる「レタッチマニア」と呼ばれたかもしれないし、実際にさほどレタッチに燃えなかったと思う。 もう少し、時代性も考えてその結果も含め発言して欲しいと思う。 2010年 06月 03日
日本はカメラ大国だ。 NIKON、CANON・・・現時点で一眼レフのメーカーはほぼ日本企業だ。 (もしかしたら、今後他のアジア諸国が台頭するかもしれないが) また、富士フィルムという大きな感材メーカーもある。 この事が多くのメリットを生んだと思うのですが、 実は、デメリットも少なからず産み出したんじゃないと思うときがある。 メリットとデメリットは光と影だ。光があるところには影がある。光しかないなんてあり得ない。 自国にカメラメーカーがなく、感材メーカーもない国の写真文化はどうなのだろう? そこにおいて、写真はとてもシンプルな成り立ちでとてもシンプルなカタチに進化してるだろうと思う。 メリットを享受し、デメリットを回避できれば万歳だ。これは、ズルイのだろうと思うけど。 私がもし日本以外で生まれていたとしたら、カメラを手にしていなかっただろうか? でも、「もし」は実在しない。 2010年 05月 31日
「あなたはシャッターを押すだけ。後は当社におまかせください!」(KODAK) 「あなたはシャッターを押すだけ。ピントは当社におまかせください!」(AF) 「あなたはシャッターを押すだけ。露出は当社におまかせください!」(AE) 「あなたはシャッターを押しつづけるだけ。秒間10コマ連射します!」(drive mode) 「あなたは構えるだけ。後は被写体が笑うたびにカメラが勝手にシャッターを切ります!」(smile shatter mode) いまや、全自動カメラは勝手に写真を撮る。行き過ぎると撮影者は単なるオペレーターになり、 ついには機材保持係になり、「私が撮りました!」という言葉がスゴく薄いものになる。 昨日ノラ猫がいたから、その手を取りカメラのシャッターボタンを押させたら、ちゃんと写ってた。 < 前のページ次のページ >
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